「わたしの心の専門家」はどこにいる?

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「心の専門家」なんとかしてくれそうな感じがします。
しかし、「一般的な心の専門家」であっても「わたしの心の専門家」ではありません。
「わたしの心の専門家」は「わたし」と「一般的な心の専門家」の協力から生まれます。

自分自身の専門家は自分である
しかし相談が必要になっている状況に対する専門家ではない。
自分の専門家と相談事の専門家が合わさる事で解決方法が見える。

自分の事は自分で決める必要がある理由

認知行動療法でよく言われる台詞です。
自分の事は最終的に自分でしか解りません。
治療者に助けてくださいという感じで任せられていただける人がいます。
頼っていただくのはありがたいし、治療にも効果的に働きます。
しかし、残念ながら私たちは助ける手助けしかできません。
自分の心に触れる事が出来るのは自分だけです。
治療者はそのやり方を教える事しか出来ません。
治療者は言うなら手術を教える人であり
実際に手術をするのは患者様という事かもしれません。
また、手術をするのが自分でしなければならないと同時に
自分の心を実際よく知っているのも自分です。
治療者はそれを聞かなければどんな知識があったとしても
心の中を探っていく事は出来ません。

人は誰でも自分の専門家

ではどのような意識が良いのかといいますと
自分は自分に関しては専門家であるという意識です。
数10年に渡り、自分という難しい対象を誰もが観察してきています。
コウモリの専門家、サメの専門家、人間の心の専門家
どんな専門家も研究対象より自分の事を観察している期間が長いです。
自分の事だからこそ、長く見ているからこそ解らない事もありますが。
そこのところはお手伝いさせていただきます。
精神科医や心理士は心が解るように思われますが
自分自身より解ってもらえることはありません。
自分に関しては自分が一番理解できます。
その上で有効なアドバイスをもらうという意識が必要です。
また、本当の専門家であれば他の専門家の意見も参考にします。
サメの研究家が魚一般の事を知る事で見えなかったものが見えてくる事もあります。
どんな魚もサメと同じだろうと思っていては知識はのびません。
自分の専門家という意識を持ち、認知や行動という点では自分は知らないからアドバイスをもらう
そのような感じかも知れません。

専門家同士の話し合い

そうなると治療というのは一方的ではありません。
専門家同士の話し合い。
共同実験計画といっても良いかもしれません。
自分の専門家である自分と、心の専門家である治療者の共同作業です。
まず、知っている事は全て話していってください。
何が必要かという事は心の専門家の方が解るかもしれません。
自分の専門家であると、自分の事についてどんどん話して解ってもらいたくなります。
しかし、一番解ってもらえるのは自分だけです。
あくまでも必要な情報を探してもらうというスタンスが良いでしょう。
その次はアイディアについてです。
自分を見つめるのは辛いので、なされたアドバイスを拒絶したくなる事があります。
魚ではこうだと言われた時、さめではこうだ。私は専門家だという意識では話し合いは進みません。
まずは受け入れて本当にそうであるか確かめてみようという方が上手く行きます。
行動実験という考え方が有用です。
自分の専門家、心の専門家、どちらも持つものは不十分ですが
合わさる事で新しい道が作られます。

どんな知識も個別の状況では仮説でしかない

知は力なりと言われます。
その理由は「因果関係」を扱っているので、次の状況を予測する事が出来ます。
しかし、それは仮説にしか過ぎません。
これは専門家が気にすべき点です。
心の専門家は人の考え方一般に精通します。
病気の時の考えの陥り方も経験します。
しかし、これらの知識が今目の前の患者に適応できるかは仮説に過ぎません。
自分の専門家である自分も同じです。
自分はいままでこうだった、という考えを持つ事が大切ですが、
相談が必要な時は今までのやり方では対応できなくなっている事が多いです。
現在の病気になっている時に適応できるかは不明です。
これも同じように仮説に過ぎないという訳です。
心に負担がかかったときという特殊な状況にたいする
さまざまな人のパターンという一般的な知識を持っている心の専門家の仮説

自分という特殊な対象に対して
これまでの蓄積という一般的な知識を持っている自分の専門家

これらの仮説が合わさる事で仮説の力は増し、より効果的な対応が出来るようになります。

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